HISTORY
(寺の成り立ち)
創建は1606年8月25日、浄土宗総本山京都知恩院御一代重達上人が江戸出府の折、徳川幕府に言上し、一寺創建の許可を得て湯島天神下に拝領。開山上人は廻誉重達上人、本寺は神田山新知恩寺幡随院でこの末寺となる。駿河台の霊山寺が移転してくるため、十年後の1616年に現在の地に移る。
創建時は法界寺と称されたが移転後に講安寺とされる。1703年に類焼し1708年に土蔵造りの本堂を再建する。以後、震災にも戦火にも被害なく現在に至る。
1827年に80名余りの女中、侍を引き連れて、現在の東京大学赤門も手土産に加賀百万石の前田公に嫁がれた徳川11代将軍家斉公の愛娘、溶姫、その実母であり家斉公の側室お美代の方は、明治5年6月11日77歳で亡くなられるまでの45年間、前田家と垣根一つ隣の講安寺に隠棲されていた。講安寺裏木戸から溶姫に会いに行っていたのだろうと思われる。大正2年金沢野田山の前田家墓所に改葬されているため、講安寺にお美代の方のお墓はないが位牌を作り代々供養は続けられている。
法名は「専行院殿舜沢亮照大禅定尼」である。
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